過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

中本山を再興するはなし

宝珠寺の稲垣寺住職を訪ねた。ぼくが企画した寺カフェのご縁だ。アポなく訪ねても、いつもていねいに迎えてくださる。寺カフェの参加者、ひとりひとりをたいせつにしている。ちゃんと名簿も揃え、行事の案内の手紙も出す。帰るときにも、駐車場までおくって、クルマが発信するまで不動で見守ってくださる。

その宗派の中本山の話になった。七堂伽藍の威容があり60ほどの末寺があったお寺。なんと仏舎利が安置されているという。150町歩も広大な敷地があった。しかし、本末が解体され、大正時代の火災での消失、戦後の農地解放で不在地主であったため、ほとんど土地が取られてしまう。敷地は小中学校にあげてしまう。

その中本山を再興することになったという。稲垣さんが兼務住職として務めることになる。五間四方のお堂を建てる。そこで、お経を教え、坐禅ができるようにする。50畳の広さだから、いろいろ企画ができそうだ。

歩く瞑想(行経=きんひん)のできるお寺にしたらいい、と提案させてもらう。マインドフルネスで堂内で歩く、お堂のまわりを歩いて瞑想する。そんなお寺に。

日本にはいろいろな神社やお寺があるが、ぐるっと回れるところがほとんどない。インドのテンプルに行くと、周りを回れるところが多い。テンプルのある山そのものの周囲も回れる。寺に入れば、また回れる。ぼくはインドを旅していた時、よく古いテンプルを訪ねては、歩く瞑想をしたものだった。

仏舎利の党を軸に、五間四方のお堂のまわりを、ぐるぐるまわりながら、歩く禅、マインドフルネス歩行、祈りのあゆみ、それができる寺に。

歩くことがそのまま瞑想になる、禅になる、祈りになる。気づきが深まる。そういうお寺になるといいですねと、話をしたのだった。