過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

自分が語っていてエネルギーが出てくる世界。そこを深めていくのがいい

きのうはずっと雨。稲刈りはしばらく延期だ。仲間は、ナル材をすべて山の中から運んできてくれた。200本。

午前中は奈良の真言宗のお寺の新聞作り。午後は雨の中、はるばる山里に介護士と看護師、木工の友人の3名が来訪。

看とりとおくり、子ども食堂NPO法人の立ち上げ、天河神社龍神と天狗、本作り、寺カフェのことなど。4時間ほどの語りあい。こうした中に、あかりは、おもちゃ箱をうんしょ・うんしょと持ってきて、広げて遊べるようになってきた。

夜は、友人の僧侶と祈祷と心理療法について、代替医療のいろいろなワザについての情報交換。

基本的には、人と人の語り合いは疲れない。一方的に聞くだけとか、語るだけというのは疲れるけど、キャッチボールができるやりとりは元気になる。

ぼくは、いろいろと引き出しが多くて、あれもこれもと広げすぎてしまう。絞り込んでいかねばと、いつも感じる。

語っていると、仏教や宗教のこと、インドのこと、瞑想のこと。そういう世界がたのしい。自分が語っていてエネルギーが出てくる世界。そこを深めていくのがいい。自分の土俵をしっかりと固めていくのがいい。