過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

かなしい日本のひとつの現実 テレビを漫然と見続けるという暮らし

テレビは見ないことにしている。が、ガソリンスタンドや診療所に行くとき、見ることがある。

放映されるのが心地よい環境映像とか歌舞伎とかクラシックとかなら、まだいい。が、まったく垂れ流しの映像を見せられることになる。

きのうは診療所に行った。テレビが待合室のど真ん中にあるので、見ることになる。で、待つ間のほんの10分間に見たのは、まずニュース。殺人と小児科医の少女買春、中年男の猥褻未遂で、逮捕された男の映像。

つぎにお笑い系の番組。つまらないお笑いを、出演者が大受けしたかのように馬鹿笑いしていた。しかも、画面の端に、ゲストとか司会者の顔が出てくる。彼らの笑っている顔がいつも出てくる。じつに不快であった。

しかしまあ、テレビというのは、なんというレベルの低さだろうか。こんなものを、すこしも休まずに全国に放映しているという現実……。

どこに行っても、テレビが置いてある。サウナに行っても、温泉に行っても、病院に行っても、テレビが付いている。みなさん、無言でそれを見ている。

山里のお年寄り、足腰もわるくなって散歩もできない人がいる。なにしているのと聞くと、やることないのでテレビを毎日みているよ、と言っていた。

読書はもちろんしない。話し相手もほとんどいない。趣味もこれと言ってない。外に出る元気もない。というと、やることというと、テレビを漫然と見続けるということになるわけだ。かなしい日本のひとつの現実。