過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

裁判官の質と仕事ぶり

これまで弁護士を雇わないで自力で裁判を3度やってきた。そして3戦全勝した。

訴訟は相手方と争うことが主眼だが、じつは裁判官との戦いという面も大きかった。なにしろ判決を出すのは裁判官である。裁判官の心証によって判断される。

公平で客観的で紳士的な裁判官ばかりではない。そこが問題だ。

いちばん最初の裁判のとき。それは制作費を支払わない日蓮宗系の出版社を相手取ってのものだった。相手は日蓮宗の顧問弁護士。こちらは、自分ひとり。

そのときの裁判官はものすごく高圧的だった。まずこちらをド素人とみて、なめてかかってきた。この程度の裁判など、面倒でやってられないというのが本音だろう。強烈に和解をすすめてきた。

「こういう場合は、だいたい両方が悪いんだ。要求している金額の半分で納得したらどうだ」と。こんな乱暴なはなしであった。

「いや、応じません。証拠を元にしてきちんと判決を出してもらいたい」。そう言うと裁判官はこう言い放った。

「証拠をいくらだしてきても、意味ないんだよ。そんなのはだいたい見ないんだから」。もう脅しだ。

さすがにアタマに来た。だが、ここで裁判官と喧嘩しても勝ち目はない。裁判官忌避というのをやろうか。 ICレコーダで録音して、マスコミに流してやろうかと思ったほどだ。

おのれ、どうしてくれようかと、いろいろと思案しながら、第2回の口頭弁論の日がきた。すると、あらわれたのは別の裁判官であった。裁判官が交替したのだ。

こんなわずらわしい裁判はやってられないと、別の裁判官に押し付けたじゃないかと思われた。

なぜ裁判官がこうした態度をとるか。それは、裁判官はたいへんな数の訴訟を抱え込んでいるわけだ。一つひとつ早く終わらせたい。

和解なら1回で決着がつく。判決となれば、えんえんと1年もかかる。書面を読んで書証拠調べをして、法律のロジックを駆使して、書かなくちゃいけない。

和解でも判決でも、処理件数は1つである。その処理件数で、裁判官の仕事は評価される。ので、和解に持ち込もうと脅すわけだ。(続く)

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