過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

憲法の前文を読む(3)崇高な理想とは? 平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼?

「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」

センテンスが長いので、ブツ切れにしてみた。

日本国民は、恒久の平和を念願する。
日本国民は、崇高な理想を深く自覚する。
その理想とは、人間相互の関係を支配するものである。
日本国民は、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼する。
(その信頼の上にたって)安全と生存を保持しようと決意した。

恒久の平和を念願するのは、それはそうだろう。
「人間相互の関係を支配する崇高な理想」を深く自覚するというが、いったいなにか。中身が示されておらず、わからない。中身がわからないのに、「深く自覚する」なんてことは、ありえない。

さて、問題なのは、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、安全と生存を保持する」というところだ。

世界には「平和を愛する国々」がある。その国々の「公正と信義を信頼する」。その上に立って安全と生存を保持するという。

たしかに、世界には平和を愛する国々がたくさんあるし、ほとんどの国が平和を愛している。

しかし、現実はどうだろうか。たとえば、近隣の韓国や北朝鮮、中国が、平和を愛する国々であろうか。中東はどうか。南米はどうか。

アメリカは、平和を愛する国だろうか。ロシアはどうだろう。イギリスは、フランスは、ドイツは? それらの国が、歴史的にも、現状をみても、平和を愛する国々といえるだろうか。

そういう国々をまず信頼して、自国の安全と生存を保持すると決意したという。それって、かなり楽観的、理想的、お人好しとも思われる。

実情としては「アメリカはすごい国、理想を体現したすばらしい国だから、その国の能力、戦力、政策を信頼して、おまかせして、日本の安全と生存を保持しようと決意した」ということになるだろうか。