過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

このお経の響き、なかなかいい

このお経の響き、なかなかいい。チベット仏教のお経かなあとおもって聞いていたら、どうもちがうようだ。中国いや台湾かと思う。

聞いていると、大悲心陀羅尼(ナムカラタンノー トラヤーヤー)をよんでいる。そして、南無阿弥陀仏ともとなえている。こちらは、お経を知っているので、そこは聞き取れる。

日本でよまれるお経は、あんまり好きじゃないけど、こういうお経はなかなかいい。チベット僧侶のよむものもすばらしい。インドのお経もまたすばらしい。

中国人の僧侶は、自国の言葉だから意味が分かって読んでいると思う。チベットの僧侶のよむお経もまたチベット語だから、意味がわかってよまれていると思う。そうして、聞いている人も自分の国の言葉だから、意味はわかると思う。

しかし、日本におけるお経は、古い漢語であり、古い中国の発音を四声をともなわないで(高低のアクセントがない)平板に唱えている。

はたしてよんでいるお坊さんが意味を理解しているのだろうか。聞いている人は、まったく意味がわからない。呪文あるいはBGMとして聞いている。

そのことが死者の供養になっていとされる。しかし、それはいったいどういうことで、供養になるとされるのだろうか。

https://www.youtube.com/watch?v=S4PkLg_2clI