過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

その座標は、なんといっても創始者、ブッダに求められるべきもの

仏教という壮大なムーブメント。それは、膨大で複雑。矛盾して、混交し融合している。混乱するので基軸がほしい。

その座標は、なんといっても創始者ブッダに求められるべきもの。

インドにおいて生を受け、悟りを開いたブッダという人格、生き方、日々の教えこそが仏教の座標である。

阿弥陀如来大日如来、観世音菩薩、あるいは久遠実成の釈迦というものは、座標にはなりえない。

ということで、仏教の座標は、やはり最高層の経典「ダンマパダ」と「スッタニパータ」におくのがよいと考える。

「ダンマパダ」の冒頭の数節。ここに仏教の基軸があると思う。

1 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも汚れた心で話したり行なったりするならば、苦しみはその人につき従う。――車をひく(牛)の足跡に車輪がついていくように。

2 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも清らかな心で話したり行なったりするならば、福楽はその人につき従う。――影がそのからだから離れないように。

この世のすべては、自分の心がつくり上げているのである。自分の心が汚れていれば、苦しみは自分が受ける。自分の心が清まっていれば、福徳は自分が受ける。

なので、仏教とは自分の心を清めていくことに尽きる。超越的な神仏の力によって、なにごとかを成し遂げようとするのではない。加持祈祷や先祖供養によるのでもない。