過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

丁度よいのだと聞こえた時/憶念の信が生まれます

お前はお前で丁度よい/顔も体も名前も姓も/お前にそれは丁度よい/貧も富も親も子も/息子の嫁もその孫も/それはお前に丁度よい/幸も不幸もよろこびも/悲しみさえも丁度よい

歩いたお前の人生は/悪くもなければ良くもない/お前にとって丁度よい/地獄へ行こうと極楽へ行こうと/行ったところが丁度よい/うぬぼれる要もなく卑下する要もない/上もなければ下もない/死ぬ月日さえも丁度よい

先日、熊切の製茶「井口園」に寄った。いつもお父さんが暖かく迎えてくれる。美味しいお茶にお菓子をいただいて、ありがたいかぎり。そこで、96歳の方の書を見せてもらう。品のある達筆で感心、そして内容がいい。

でも、まてよ、この文はきっと出典があるに違いない。そう思って調べてみた。ベストセラー作家の小林正観さんも、ブッダの言葉として簡略版を紹介していた記憶がある。こんな言葉だ。

すべてがあなたにちょうどいい/今のあなたに今の夫がちょうどいい/今のあなたに今の妻がちょうどいい

今のあなたに今の子供がちょうどいい/今のあなたに今の親がちょうどいい/今のあなたに今の兄弟がちょうどいい

今のあなたに今の友人がちょうどいい/今のあなたに今の仕事がちょうどいい

死ぬ日もあなたにちょうどいい/すべてがあなたにちょうどいい

お釈迦さまの言葉として伝わっているのなら、これって経典にあるだろうか。調べてみても、どうも見つからない。

釈迦はなにごとも偏らない、極端にいかないという意味で、「中道」の教えを説いていたので、意訳すれば、こういうことになるのかもしれない。まあこんなふうに、伝承が積み重なって、経典というものができあがったのかもしれない。作者不明のまま作られていったのがお経と。

で、さらに調べてみると、藤場美津路(みつじ)さんいう人が、書いたものらしい。石川県の真宗坊守(住職の奥さん)が、寺報に書いた言葉である。それがひろがってあちこちで流布したようだ。

真宗門徒さんであるから、言いたいことは最期にある。おわりの五行。けれども、一般的は真宗の臭味があって違和感があるので、削除されて伝わっているのであった。

で、その最後の言葉である。この言葉を抜いたら、もったいない。ここのところで、ずしんときまるのになぁと感じた。

仏様と二人連の人生/丁度よくないはずがない/丁度よいのだと聞こえた時/憶念の信が生まれます/南無阿弥陀仏