過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

秋葉山三尺坊大権現

まちなかに出たついでに、浜松市の中央図書館に立ち寄る。郷土史やむかしの広報などを眺めていた。「秋葉山三尺坊大権現」という本を見つけた。

ぼくの暮らしている山里・春野町をかたるとき、「秋葉山」(あきはさん)は外せない。

ここは神仏混淆の山で、本尊は観世音菩薩であるが、「秋葉大権現」が有名だ。これは、いわば天狗だ。本地は仏であるが、世を救うために仮のすがたで、三尺坊(さんじゃくぼう)という修行者の姿(いわば天狗)として現れたとする。「権現」とは、権(かり)に現れるという意味だ。神も仏も一体なのだ。

秋葉神社秋葉寺(しゅうようじ)は、もとは一体であった。火伏せの神として広く信仰され、かつては全国に2万余の末社があり、全国的に秋葉山詣でがあった。往時は七堂伽藍が建ち、修験道の拠点であった。

ところが秋葉山は、明治政府の「神仏分離令」で壊滅させられる。「修験道廃止令」がだされ、修験者は還俗させられる。秋葉権現は、神なのか仏なのかということで、論議される。「これは仏だ」ということになれば、つぶされる運命にある。「いや神です」ということであれば、逃れられる。

そこで、秋葉山神道秋葉大権現と仏教の秋葉寺に分離した。そのどさくさで、秋葉寺はつぶされる。仁王像はたたきつぶされ、谷底に打ち捨てられる。本尊の三尺坊権現と宝物什物は、袋井の可睡斎に持っていかれる。

もともとは、神も仏も一体の山であったのだ。そこをふたたび和合させ、ともに神仏和合を信仰の軸にしていくといいのになぁ、といつもおもう。こうした山が全国にたくさんある。