過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

生前にプロデュースを依頼できる人がいるといい

死んでしまえば、あとのことはどうでもいい。なにしろ、自分はもうこの世にいないのだから。

それはそうだ。しかし、やはり死んだあとはこうしてもらいたい、と気にかかるものだろう。後の煩いを残しては、やすらかにあの世に逝けないかもしれない、と。

葬儀はいらない。密葬でいい。お坊さんもよぶ必要ない。戒名もいらない。墓もいらない。みんなで飲んで食べて賑やかに語りあってもらいたい。

そのように、自分の死んだあとのことを語っているひとがいた。しかし、いざそれを実現できるかというと、これが難しい。やはり現実は、故人の意思に反して、世間並みに、慣習に従って、葬儀が行われることになる。葬儀社のペースにまかせて、執り行われることになるだろう。

こんな葬儀をしてもらいたい、こんなふうに遺骨は埋葬してもらいたいというとき、生前にプロデュースを依頼できる人がいるといい。まかせられる子どもがいない。あるいは、独り身で暮らしできた人など、とくにそうだと思う。

そういう仕事の分野があると思う。なにしろ、これから死んでいく人数は、どんどんと増えていく。そういう「マーケット」は拡大していくと思う。