過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

生きものはやはり世話がたいへん

米作りは、完全無農薬がいい

浜松の山里、春野町に暮らす私は、仲間と米作り行っている。広さは3反(3千平米)。米作りは、完全無農薬がいいにきまっている。なにしろ主食だから、安心・安全なお米がいい。

けれども、除草剤を使わない栽培は、除草剤を使う栽培と比べておそらく100倍くらいたいへんだ。最大の手間は草取り。初年度は、4時半に起きて仲間4人で毎日1時間余の草取りを1か月間やった。

草取りはアイガモにやってもらう
2年目は、あまりにたいへんだったので、草取りはアイガモにやってもらうことにした。昨年の6月、生まれたばかりのヒナを手配した。宅急便で熊本と大阪からやってきた。その数72羽。

しかし、ずいぶんと死んだ。コタツの熱で温めた育雛箱でも10羽くらいが死んだ。2週間ほど育てて、田んぼに放した日、10羽ちかくが死んだ。明け方の寒さのためだ。やがて成長したところで、網から脱走して行方不明になったものたちがいた。キツネやタヌキに襲われたものたちがいた。こうして、いろいろと受難がつづいた。

おかげで雑草はほとんど食べてくれた。稲が成長して実ってきた。その時点から、アイガモは田んぼとは隔離する。そのまま田んぼに入れておくと、かれらに食べられてしまうからだ。

多くのアイガモたちは、その後は、気の毒だが解体処分される運命にある。うちでは、食べたいというので、さしあげたのが、20羽ほど。大阪の理科の先生が骨格標本にしたいというので、さしあげた。結局、生き残ったのは、農家民宿にさしあげた7羽ということになった。

田んぼが憩いの場になったのだが
アイガモは草とりの手間が必要なくて助かる。とても可愛いし、目の保養にとはるばる見に来る人たちも多かった。ご近所のお年寄りや子どもたちにも、楽しんでもらえた。田んぼが憩いの場になった。

だが、生きものはやはり世話がたいへん。エサは300キロのくず米が必要だった。朝晩のエサやり、脱走したカモの捕獲も手間だった。死んでいくつらさも大きい。キツネ、タヌキ、トンビなど外敵に殺されるのはつらい。とくに大きくなったら最終的に処分しなくてはならないのが、とてもつらい。

ということで、今年の田んぼでは、アイガモ農法は行わないつもり。今年は人力での草取りということになる。なにごとも、体験だ。やってみてはじめて、そのたのしさ、たいへんさがわかる。生きているものは、可愛いだけではすまされないということが身にしみてわかった。