過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「健康長寿財団」の特派員の仕事

静岡県の「健康長寿財団」の特派員の仕事を委嘱された。県には、10人の特派員がいて、一昨日、委嘱式に行ってきた。

どんな仕事かというと、健康長寿なお年寄り、地域の耳寄り情報などを取材して財団のホームページに投稿するというもの。

人生の達人をお訪ねして記事にさせてもらうのは、ありがたいこと。まあ、仕事というより、ほとんど趣味の領域になる。この延長で、浜松の山里の達人、おもしろい人を訪ねては、人間マップ、達人バンクをつくっていきたいと思う。

第一回目の投稿は、竹細工の梅沢さんのことを記事にさせてもらった。すこし前のFacebookの投稿を編集したものだけど。以下、投稿記事。

 「竹の雑器をつくって75年 梅沢貞夫さん85歳」

竹細工職人の梅沢貞夫さん(85歳)が訪ねてくれた。春野町の川上集落のさらに奥、その名も外山(はずれやま)という山中に暮らしておられる。そこは、高齢者ばかりの5世帯の集落である。

安価なブラスチック製品に押されて、生活雑器の竹細工をつくるひとは、今ではほとんどいない。おそらく浜松では梅沢さんだけではなかろうか。

 10歳のときの大ケガがきっかけ

竹細工をはじめたきっかけは、10歳のときに大ケガを負ったことにある。近所の山の崖から転落したのだ。たいへんな山奥で医者もいない。片道2時間以上もかけて、自転車に乗せられて川根町の病院へ。しかし麻酔もない。そのまま片足を切断した。

梅沢少年は、不自由な体になって、どうやって暮らしていこうかと考えた。家の中でできる仕事をするしかない。いったいどんなことができるだろうか。

「竹細工はどうだろうか。これなら自分にもできそうだ」と考えた。しかし、教えてくれる人はいない。たとえいたとしても、こんな山奥から、不自由な体で通えるはずもない。そこで、梅沢さんは、竹細工の製品を取り寄せて、三日三晩、徹底して観察した。そして、たったひとりの独学で竹細工を始めたのだった。以来75年になる。

つくる竹細工は、竹箕、お茶籠、背負い籠など数十種類。とにかく仕上げが丁寧。とっても堅牢なつくりだ。使い込むほど風合いと味わいが増す。

 完全無農薬・有機肥料でお茶も栽培

杖を片手に完全無農薬・有機肥料でお茶も栽培している。「自然茶工場」という看板を掲げた自前のお茶工場もある。竹細工やお茶の栽培をまなびたいひとがいたら、教えてくださる。いま通ってくる生徒さんは、三人いる。ちゃんとお茶を引き継いてくれる人がいたら、工場から茶畑から、みんな譲ってもいいと言われた。

遠州北部の山里には、鍛冶屋、和紙職人、機織など、手仕事の達人がまだまだおられる。時々、紹介していきたい。

浜松北部地区地区担当 生きがい特派員 池谷 啓