過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

四月八日はお釈迦さまの誕生日

親しい友人にマルカスさんというインド人がいます。カレーショップを経営し、インドの仏蹟参拝の案内もします。日本語が堪能で、かれからいつも仏教の話を聞いていました。

きょうはお釈迦様の誕生日ということで、かれの語った話を掲載します。

四月八日はお釈迦さまの誕生された日とされています。お釈迦さまが生まれたのは、2500年前のことです。王子としてカピラ城で生まれました。

お父さんの名前は、シュッド・ダンといいます。清らかな(シュッド)米(ダン)という意味です。浄飯王と漢訳されていますね。お母さんの名前は、マヤ夫人といいました。

マヤ夫人は、あるとき白い像がお腹に降りてくる夢を見ます。宮殿には星占いの千人がいましたので、目が覚めてから、すぐに夢の意味を聞きました。

「それは、偉い人が生まれるという知らせですよ」
待ちに待った王子様が誕生するというので、人々はみんな喜びました。

マヤ夫人は臨月に近くなると、実家であるデーヴダハに帰ろうとしました。旅の途中、ルンビニというところで、休憩のために休むことにしました。

そのときに、急に産気づいたのです。お産のためにアショカの木(無憂樹)を持って立ち上がったとき、右の脇から赤ん坊が生まれました。

右の脇からふつう赤ん坊は生まれませんね。どうして、このような伝説があるかというと、古代のインドでは、この体を四つの部分に分けています。

頭はバラモン、手や胸はクシャトリア、お腹はバイシャ、足はスードラという階層をあらわします。

頭から生まれたときにはバラモン、足から生まれときには、スードラの階層に生まれたということを表しているのです。右の脇ということは、お釈迦さまのカーストであるクシャトリアを表しているわけです。

赤ん坊は、生まれてすぐに七歩あるいて、「天上天下唯我独尊」と言ったと伝えられています。

どうして七歩あるいたのでしょうか。

古代インドでは人は輪廻転生すると考えられていました。死後、無に帰するのではなくて、転生する。転生するときには、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天に生まれる。

そして、この六種類の世界(六道)を延々と繰り返す(輪廻する)。この六道は苦しみの世界であり、そこから脱することはできないのだと考えられていました。

この六道を脱することが究極的な幸せであり、それが魂の目的なんですね。

そうして、人間に生を受けたときにだけ、修行によって六道から脱することができるのです。

お釈迦さまは、この六道からはじめて脱した人、解脱した人なのです。だから、七歩あるいたというのは、迷い苦しみの世界を脱した人ということをあらわしているのです。

……きょうは、やはりインド人のスワリナリさんと二人で「仏教の源流 インドの大地を訪ねて」というテーマで、午後から阿多古で講演会を行います。