過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

証拠は小出しにする

森友問題はひとつのゲームと見ている。

相手を追い込めるかどうか。あるいは、追い込んでくる相手をひっくり返して「どうだ、参ったか」と言わせることができるかどうかのゲームと。

ぼくはどちらの応援もしていないが、学ぶところがひとつ。「証拠は小出しにする」ということ。

戦う時「これだけの証拠があるぞ、どうだ!」と開示したい気持ちが起きる。証拠を一覧で示して、「おそれいりました」と言わせたい。一気に決着をつけたい。

ところが、そんなことをしたら、相手に手の内を見せてしまうことになる。追い込んでいくのが難しくなる。

証拠をぜんぶ出したいところを抑えて、一つひとつ小出しにしていく。ひとつ証拠を出すと、相手はそれを否定してくる。その否定したところを、つぎの証拠で覆していく。そして相手が否定してくる、それをまた次の証拠で覆していく。

FAXを1枚示す。相手は、否定してくる。どうだ、関与していないぞと言う。しかし、二枚目のFAXを次に出してくる、相手の否定が崩れてくる。

まあ、そんなことがたいせつだなあと思った。二手も三手も四手もよんで、駒を進めるということだ。ぼくは将棋は下手くそで、それができない。

かつて本人訴訟で、弁護士を雇わないで、裁判を進めたことがある。三連勝したのだが、それは頼りになる友人が、いつもアドバイスしてくれていたのだった。かれは将棋が得意で、いつも二手も三手もよんでいた。

そして、いちばんたいせつなポイント。「ウソをつくとつじつまがあわなくなる」ということ。嘘をついていなければ、真実は一つだから、矛盾することはない。ところが、自分を守るために嘘をつき始めると、ウソに嘘を重ねていかざるを得ない。ついには、いつか破綻する。ほころんでくる。

これは、裁判で経験したこと。相手は、ウソをついていたが、それを守るために、ついには証拠を偽造してきた。その偽造が、あらわになってしまった。裁判官も、そのことを記載している。その判決の一部である。