過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

漢文と日本仏教(1)

サンスクリット語で書かれたインドの仏教は、中国で漢訳されて、朝鮮半島を経由して日本にやってきた。日本の知識層は、ほとんど漢文が読めたので、日本語に訳さずにそのまま読んでいった。

とくに、書き下し文の発明はすごいと思う。そもそも中国語と日本語は文法が違うのに、日本語の構造にして変換する。中国語は、主語・述語・目的語という構造になっている。その白文にレ点・一ニ三点・上中下点・甲乙点とつけて、日本語として読めるようにしてしまった。

もしも英語が古代の日本に初めてやってきても、それは可能だったかもしれない。I am a boyという英文は、「I ハ a boy ナリ」みたいに、そのまま読んでしまうわけだ。関係代名詞みたいなのが入ると複雑だけど。

ともあれ、知識層は漢文が読めた。そうして、いちいち書き下しに変換しなくても、そのまま読み込めるようになってくる。たとえば経典の冒頭にある「如是我聞」を、いちいち「是くの如く我聞けり」などと脳内で変換しないで、そのまま理解していくわけだ。

そうして、やがて、その漢文の構造を解体して、独自な仏教思想にまで展開していこうとした。それが、たとえば本覚思想だと思う。