過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

雪の中、桜櫓館(おうろかん)を訪ねた

秋田の散策篇。雪の中、桜櫓館(おうろかん)を訪ねた。昭和の初期に建てられた洋館で、安土城天守閣のような展望の部屋が特ある。狭い階段を上ってみると、屋上の部屋は2畳ほどの広さ。四方がガラス張り。外は吹雪で寒かったが、居心地がいいので、ここでくつろぐ。

昔の町長の私邸だが、その後、売りに出され、バブルの頃は不動産屋が買った。そして、バブルがしぼんで売却しようにも、買い手がいなかった。そこで、いまの所有者が買った。家族はみんな大反対したようだ。そりゃそうだろう。

収益を上げるわけでもなし、ここで暮らすわけでもない。そのうえ維持費がかかる。観光客を迎えるには、管理人がいる。人件費がかかる。それで、オーナーがここに住み込むことになった。「息子はこの家に関心がないし、私も年をとってきた。さあどうしようと頭を抱えているんですよ」と言っていた。

ほんらいなら市が買い取って記念館とするのがよいと思うのだが、耐震工事やら安全対策やら、かなりの補修費用がかかることになる。市も余裕があるわけではないからね。

浜松市などは「森岡の家」という、寄進された建物があった。江戸期の土蔵、長屋門のある屋敷だったがが、昨年、解体して更地にされた。イチョウクロマツなど威風堂々とした高木も、ことごとく切り倒された。理由として、利用率が低い、耐震工事が必要、落ち葉などで住民が迷惑している、ということであった。そんな例もあるので、個人が所有していたほうが、建物はちゃんと残るかもしれない。

大館旧市街地は、ほとんど古い建物がないので、ここは貴重な建物だ。ちかくには、かつては大館城があったのだが、戊辰戦争の時、南部藩に攻められた焼け落ちた。

ところでなぜ、南部藩に攻められたのか。幕末のとき、東北諸藩は「奥羽越列藩同盟」をつくって官軍に対抗した。ここ久保田藩も同盟に入っていたが、間際になって離脱。官軍についた。そのため、近隣の諸藩から攻撃されることとなったわけだ。

「秋田が裏切ったので、奥羽越列藩同盟は敗れた。秋田はけしからん」という思いが、まだ東北の人たちにはあるとも聞く。福島の三春藩も、やはり間際になって裏切って官軍に無血降伏したので、いまでも近隣から悪く言われている。

そんな大館の歴史に思いを馳せながら、天守閣のような部屋でしばし瞑想していたのだった。