過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

たまふり

「鎮魂」(ちんこん)の続き。鎮魂は、死者の霊を安んずるのではなくて「たましい」に活力をあたえる「たまふり」がもとの意義ということを書いた。

そうして、天皇(太陽神であるアマテラスの末裔)という国の中心になるひとにおいて、それがなされると、国に活力をもたらす、ことになる。逆に、天皇がけがれる(文字どおり「氣枯れ」=氣エネルギーが枯れる)と、国が弱る。飢饉や疫病、戦乱が起きるという考えがある。

国を安んずるためには、天皇のたましいが、つねに活力にあふれていてもらいたい。そこで、「たまふり」が必要となる。天皇において、「たまふり」がなされるのが、新嘗祭天皇の霊を強化する儀式である。

この天皇は「ひと」であるけれども、いわば依代(よりしろ)。背後に「天皇霊」という霊団があって、「ひと」を依代(よりしろ)にしているのが、天皇ということになると思う。

天皇崩御あるいは退位すると、その天皇霊は、つぎの天皇となるひとを依代にしていく。それが、大嘗祭(だいじょうさい)ということと思う。

ちなみに、大本(おおもと)などで、行われていた「鎮魂帰神術」(ちんこんきしんじゅつ)は、「たまふり」によって神霊を修行者の肉体に懸からせる。そして、降りてきた神霊と問答して正邪を判定する術と。

問題なのは、「たまふり」をおこなうと、いろんな低級霊、邪霊もやってきて憑依してしまう。ときには、「われこそは〜」とえらい神様の名前を名のったりする。けれども、それがちゃんとした神であるかどうかわからない。ときに、その神の名を語った低級霊であったり、邪霊が自らを高級霊と思いこんでいる場合もあると思う。

ということで、神がかりそのものは、にわかには信用できない。そこで、憑依した神、低級霊などと問答を交わして、その神や霊がなにものであるかを判定するわけだ(審神・さにわ)。続く。