過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

死と再生を願う祭

いまの時期が、一年で昼間の時間が一番短い。夏至の日と比べると、昼の長さが5時間もちがう。太陽のエネルギーがいちばん低い。まさに、陰が極まっているところ。

そのときにクリスマスがある。その起源は、エネルギーの最低のときにこそ、あらたな復活、再生を願っての祭じゃなかろうか。

もともと太陽の死と再生を願う「冬至の祭」があった。そこにキリスト教が伝播していって、もとの信仰と融合していったんじゃなかろうか。太陽の復活に人類の闇を照らすキリストの誕生に結びつけたというわけだ。

日本の天竜川水系などで行われている「霜月祭」(しもつきまつり)も似たようなところがある。「花の舞」とも呼ばれるが、「死と再生」を願う祭だ。

自然界の神々や怨霊の鎮魂を祈る。そうして、収穫を祝う祭というよりも、次の年の豊作を願って「予祝」(よしゅく)する。あらかじめ豊作を祝ってしまうことで、豊作という現実が引き寄せられる、と。