過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

マインドフルネスについて

アップルを創始したスティーブ・ジョブズが実践していた。グーグルは社員に実践の機会を提供している。アドビもFacebookも、そうだ。というわけで、一流最先端の企業、世界の頭脳のトップクラスが実践しているらしい。

しかもだ。やり続けていくと、免疫系の能力を高め、集中力を向上させる。脳神経の結びつきを再構築するので、判断力、創造力が高まる。ということで、俄然、日本でも脚光を浴びてきている。

それは、「マインドフルネス」という瞑想法だ。いまやたらと流行ってきている。この種の本がたくさん出ている。これは、むかしから言われていることなんだけど、最近、注目を浴びだしているのは、こうしたアメリカ由来だから。

瞑想法というと、何かむつかしい、アヤしいイメージがある。あるいは禅とかになると、初行的な厳しい雰囲気、あるいは仏教の理論もでてきて、とっつきにくい。

けれども、いまの「マインドフルネス」の流れは、そういう理屈がない。仏教理論も必要ない。ただ、そのまますんなり実践していけるし、ちゃんとやったら、即座に体得できる道ではある。

そもそも瞑想というのは、あれこれ浮かんでくる想念、考えが停止することなんだけど、その方向として、ざっくり言うと2つあると思う。

ポイントは「いまここにいるか、いないか」だ。ひとつの瞑想法は、「いまここにいない」方向。どこか別の世界に入ってしまう瞑想法がある。なにか神秘的なシンボルをつかったり、マントラを使って別次元に行こうとする。阿弥陀様を思い浮かべるとか、伝統的な仏教の観想法(イメージ瞑想)でもある。

もうひとつは、「つねにいまここにいる」という瞑想。油断なくいまここに気づいていることだ。だいたい、ひとはいまここにいない。過去や未来、別の場所のことを考えたりしている。頭の中のおしゃべりがはてしない。頭と体がバラバラだ。

マインドフルネスは、つぎつぎと頭のなかに生まれてくる考えに動かされることなく、それをただ観察していくのだ。感覚もそうだ。痛い、冷たい、熱い、快適なもの苦痛なものでも、なんでも、いまここ起きている感覚に気づいていく。身体の動きも、観察していく。内側から。頭と体がひとつになる。

たいせつなことは、それがいいとか悪いとか、判断しないこと。判断しようとしている自分にも気づいて、それを判断しない。判断している自分に気づいている。そういうありようが、「マインドフルネス」と表現されている。別のことばでいうと、アウェアネスだし、パーリ語のサティである。