過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「誠成公倫会」という新興宗教に

「誠成公倫会」という新興宗教にさそわれたことがある。友人が結婚相手のことで悩んでいて、いろんな霊能者や新興宗教の世界を訪れていた。それに付き合う格好で、あちこちと出かけていった。

ここは何を拝むでもなくお経を唱えるでもなく、ただ話を聞いているだけでカルマの解消になるという。当時、町田の会場には毎日2,000人ほどの人が集まって講義を聞いていた。

そして20年後、また縁があって誘われた。妻と娘と3人ででかけたのだ。きょうの掛川の会場には、300人くらいかな。20年前の話とほとんど変わらず、大して感銘もなかったが、内容は悪くない。かつてのメモがあるので、それをもとに再現してみた。以下、要旨。

家庭のことは外に現われる。親子の意思の疎通ができない人は、社会でも意思の疎通ができないで孤立していく。人との折り合いがうまくできなければ、協力は得られない。家庭がまとまっていると栄えていく。家庭がまとまっていないとアクシデントが起きやすい。

男性は母親に対する態度を変えることで、すばらしい女性があらわれる。女性は父親を大切にすることで、よき先輩、よき上司に恵まれるこ。母親を大切にすることで、自分を支えてくれる人に恵まれることになる。

行(ぎょう)や信仰だけで、人間の質は変わらない。人との関わりいいの中で、自分の性(さが)、性質というものが出てくる。いつもなら腹を立てるところ、舌打ちするところを、グッと我慢して、一言ご苦労さんと言ってみる。そういうところから人間の質が変わってくる。

いちばん難しいのは、親子と夫婦間である。それらは自分に限りなく等しい相手だからである。そこを改善していくことで自分が改善されていく。それに立ち向かうしかない。自分の改善によって、自分を取り巻く事情を改善していくことができる。

ということで、大きくは次の3つのことを話をしていた。

1.同質結集の法則
同質の物事しか起こらない。同質の者しか集まらない。その人に等しいことしか起こらない。たとえば、人を見る目のない上司にいつも仕えて不遇だというのは、そういう上司の同質だから出会ってしまうことになる。

同質の物事しか起こらないのだから、不平や不満を他に向けても仕方がない。自分自身を改善することが問題の解決となる。自分自身が改善されていれば、同質結集の法則で改善された環境が現われる。自分が変わることで周囲が変わる。

2.バランスの法則
良いことがあるときには、良くないことが起きている。悪いことが起きているときには、良いことが起きている。調子が良いときほど注意しなければいけない。また、最悪なときには、それに変わる大きな良いことが起こっているのだから、意気消沈してはいけない。意気消沈してしまうと、良いことを取り逃がしてしまう。

3.循環の法則
一度あることは二度ある。二度あることは三度ある。人生の周期というものがある。転換期には周期がある。事故があったらまた起きる。この法則は逃れられない。

だから、同じことが後にも続くと思って、今を賢く処理することが大切である。

自らの遺伝のカルマから逃れるポイントは何か。それは、争うはずの人と争わないことである。争って当然なひと、怒って当然のひと、どう考えても相手が間違っているような場合でも、争わないことである。そのことによって遺伝が解消されていく。

また、人に不平や不満を持つこと自体が争いになる。身近な人間関係に不満を持たないこと。とにかく一にも二にも我慢である。

……このように、なかなかわかりやすい、生き方・暮らしに役に立つ教えだったと思う。ただ、みんな些細なことでも講師におうかがいを立てていたので、縛られそうな不自由さを感じた。こうしないとこうなる、これはあのことの前兆だというような諭され方だと、背景には恐れがある。そこは不自由な縛られる世界になるなあと感じた。まあぼくとしては、もう行くことはないけど、いちおうメモとして投稿。