過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

そもそも「数える」とは、どういうことか

スワルナリさんから、インド人の数の数え方のことを聞いたが、そもそも「数える」とは、どういうことか、を考えてみた。ひとは数えるときにも、無意識になにしているのかということだ。

ひとはぱっとみて、4つくらいまでしか、わからないような気がする。それ以上になると、数えないとわからなくなる。そのとき、「数える」とは、どういうことか。

たとえば、指を折る。一つ二つと頷いていく。ぼくは足の指を土に当てたり。その物理的な動作をカウントしていくことになる。それがないと、とても数えられない。娘のあかりなど、まだ指を折って数えるということができない。なので、おそらく3つくらいまではわかっても、あとは「たくさん」ということになっているんじゃなかろうか。

すごくたくさんあるものは数えられない。田中角栄などは、選挙の時、1メートル四方に何人いるとかぞえて、この会場の面積はどれくらいと計算したという。また、動いているものは、数えられない。うちのアイガモはおそらく44羽だと思うが、いつも数えるたびに数がちがう。