過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

人前で長く話をするというのは、むつかしい

人前で長く話をするというのは、むつかしい。ウケねらおうとするからだろう。よかったと思われたいので、どうしても肩に力がはいる。余裕がない。聞いているほうは息苦しい。笑いがとれない。ますます重たくなって、うまくいかない。

1時間とか2時間とか話せというと、やはり準備する。こういう内容をこういう順番で話して……と頭の中に叩き込んで、目次などを作ったり、それにしたがって話すということになる。あるいは、PowerPointに画像を入れて、スライドショー的に話していく。これだとラクなんだけど、プレゼンテーションみたいになってしまう。

なにごとも事前の準備がたいせつ。そうなんだけど、それがあると、どうもおもしろくない。古いテープレコーダをまわしたようになるから。話がとてもうまいひとがいるけど、いつものおなじみの話をくりかえし伝えている、いつもの引き出しからいつものものを出してきているようになってしまうと、もうおもしろくない。そこに臨場感がない。話すほうも新鮮な気持ちが入っていないから。

ほんとは、〈出たとこ勝負〉がいい。そのとき、そのときに浮かんだことを話すのがいい。しかし、それはむつかしい。かなりの達人じゃないと。

だから会場から質問してくれるのが、いい。でも、なかなか質問が出てこない。質問があっても、むつかしい。すごく観念的なことを聞かれたり、じつは質問する本人の自慢話だったりする。

ぼくは、仕事がら、著者にインタビューして原稿にするということを、ながくやってきた。なので、著者が言いたいであろうことを聞くようになる。こう話したら、即座にこういう質問をしてさらに深く。エピソードをここにほしい、と。読者のことを想定して聞いていく。話すほうは、よくぞ聞いてくれたと嬉しくて、また盛り上がったりするのがいい。

講演会やトーク・イベントの企画もたくさんやってきた。司会とか聞き役になって、語ってもらうというパターンが主だ。話すひとには、なんの用意しなくていいですよ。ぼくが聞いていきますので、と伝えてきた。

逆に、話す内容をしっかりと用意してこられると、困ることがある。そのことを話そうというエネルギーが高くなって、聞くのがむつかしくなる。原稿に書いてきて、それを読み上げるというひとがいたけど、まったくインタビューできずに困ったこともあった。

いま講演依頼が2本ある。ということで、さてなにをどう話そうかと、考えているところ。