過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

炎天下での立ち話 

炎天下、近所のMさんと立ち話。嫁いだ一人娘を、先日亡くした。ガンだった。この年で、子どもに先立たれるというのは、さぞやつらかろう。しかも、たったひとりの娘だった。のこされたのは、夫と高三、中三、中一の子ども。むつかしい年頃だし、夫はこれからがたいへん。

Mさんは82歳。夫は90歳で、耳が遠い。夫婦でもほとんどコミュニケーションがとれない。話が通じないので、集いにも参加しない。夫はいつも孤独のなかにいる。

Mさんは、数か月前に背骨を圧迫骨折して三か月間、入院していた。やっと退院したが、まだリハビリ中。夫婦共に高齢なので、どちらかが倒れたら介護がたいへん。クルマの免許がないので、病院通いもどうなるのだろう。

たのみの綱だった娘に先立たれて、希望の灯火が消えしてしまった。人生の晩年になって、こんなにつらいことはない。重たくて重たくて、つらくてつらくて、うつ病になりそうだ。そう語ってくれた。

でも、さいわい近くに同年代の友人がいる。みなさん80代前後だ。おしゃべり仲間で、みんなわがごとのように、助けあってくれる。それだけが救いだという。もっとも、あと数年したら、みんな体が動かなくなる。

亡くなった娘さんは、つらくて痛くて不自由だった肉体から離れて、いまほっと安らいでいるんだろうね。そうして、あの世からしっかりと見守っているんだと思うよ。そう言うと「そう思わないと、つらくて耐えられないね」とMさん。ぼくは、なんにもできないけど、こうしていつも立ち話で、うんうんと聞いている。