過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「納得のいく看とりとおくり」。それが、来年の企画になりそう

「納得のいく〈看とり〉と〈おくり〉」。それが、来年の企画になりそう。医者は、1分1秒を長らえることにがんばる。それって、いわば物理的な生命の維持。安らかに逝くことのサポートは医者の役目ではない▲死にゆく人は、すでに逝くことをきめている。安らかに逝きたいのだ。無用な生命の維持は要らない。物理的な延命は、かえって安らかな死の妨げになる。

安らかに逝くことをどうサポートしたらいいか。死の瞬間の前後のケア。すごくたいせつ。そして、欠落している▲キリスト教の神父さん、牧師さんは、臨終の時にきちんと立ち会うことが、たいせつな役目ときいた。南方のテーラワーダ仏教の世界でも、臨終に立ち会うときいた▲日本のお坊さんは、死んだ後からの出番になっている。そうして、お坊さんによる葬儀が、ちゃんとした「おくり」になっているのかどうか。そもそもお坊さんは、必要なのかどうか。

そんなことも含めて、連続シンポジウムを企画したい。医者、看護師、介護士、神父・牧師、僧侶、神官、葬儀社など。そういう人たちを招いて、語りあう。「納得のいく〈看とり〉と〈おくり〉」▲それを本にまとめる。そんな企画は、おそらく来年になるかと思うけど、今年から少し助走していく。