過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「依存」について

「依存」について。元プロ野球のスーパースターの清原が覚せい剤取締法で逮捕された。覚せい剤は依存性が高いので、断ちきるのはたいへんだろうな。▲ギャンブルも、お酒も、タバコも依存性が高い。ぼくは、酒もタバコも断った。ギャンブルはもとより関心なし。いま依存しているのはコーヒーかな。断とうとは思わないけど。

完全に断ったとか、自慢しているうちは、まだ依存の可能性もある。お酒を飲んでもいいし、飲まなくてもいい。どちらでもいい。ま、いまは飲まないけどね。という、いわば「離」の境地が執着を超えていることかな▲ひとはなにかに依存する。いわば「依存病」にかかっているのかも。お金も仕事も。子育て。ボランティア活動も。掃除も▲そういう執着を離れて、出家します、なあんていうのも、依存だったりする。あるいは、理想の投影かな。いまの現実をうけいれられなくて、未来、願い、目的に理想を投影しているすがた、と。

ブッダの遺言といわれる言葉。「諸行は無常なり。不放逸に精進せよ=すべてのものは変化している。なまけてはいけないよ。いまをしっかりと生きなさい」と▲不放逸というのは、怠けるな、精進しろ、と。原典のパーリ語ではappamâda(アッパマーダ) とある▲スリランカスマナサーラ長老から聞いたことだけど、パマーダというのは、なにかに依存していること。あるいは、酔っていること。その状態から覚めていることが、アッパマーダ▲いまこの瞬間にあって過去にも未来にも依存しない。何者にも、溺れない。いまに気づいている。それがいまをかしこく生きること。それが、ブッダの教えの原点。すなわち、ブッダとは、いまの目覚めているという意味と。