過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

いい大学=いいカイシャ勤め=安定した人生という

娘はまだ生後2か月だけど、この子の将来を考えると、やはり「教育」のことを考えてしまう▲子育てでたいへんなのは、教育費だろう。中学まではいいとして、さて高校からだ。高校から大学までかかる経費は、一千万円を超える(日本政策金融公庫「調査教育費負担の実態調査」2008年)。

小中時代は、少人数学級で山里のほうが教育に向いているかもしれない。自然との共生、暮らしの達人たち、というすばらしい教師がいる▲だが、高校だ。この山里にも高校はある。でも希望のところとなると、まちなかの高校に通うことになる▲となると、駅まで車で往復1時間半、そこから電車ということで、通学に4〜5時間もかかる。かつては〈まかない付きの下宿〉で通学する人もいた。けれども、いまはそういうところは稀有だ▲すると、多くはまちなかにアパートを借りる。お母さんもそこに住む。そうしてやがてお父さんも、まちなかで仕事をせざるを得ない。そんな図式がある。

偏差値の高い学校=いい学校=いい大学=いいカイシャ勤め=安定した人生、という価値観がある。「いいカイシャ=安定したいい暮らし」が肝心なんだけど、はたしてそうか▲10年もすれば、時代感覚も情報伝達の速度も選択の幅も、ずいぶんとちがってくる。インターネットを活用して、遠方のすぐれた方から自発的に学ぶ可能性はどんどん広がる▲いいカイシャに属して生きるというのじゃなくて、ワザを身につける。コミュニケーション能力を養う。自分しかできないことを、見つける。そういう生き方が望まれる。

とは思うものも、やはり「人並み」に、ということになるかなぁ……。ちゃんと勉強して、とにかくいい学校に行く。そしたら選択の幅の広がるのだから、やっぱり教育にお金をかける。そんな生き方になるのだろうか▲先のことを案じても仕方がない。いまを賢く生きることがたいせつ。そうわかっているんだけど、子をもつとそんなことを、あれこれと思案することになる。