過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

なりわいとしての有機農業の道は

山里には、ありあまる山林と耕作放棄地がある。その活用によっては、「なりわいの道」もひらけるかもしれない▲農業といっても、従来の慣行農法(農薬と化学肥料)では、大規模農業に太刀打ちできそうにない。小回りの効く、手間のかかる有機農業(無農薬、有機物の堆肥による栽培)がいいかもしれない▲安ければいいという時代ではなく、多少高くても、安心と安全な食を求める人びとは多くなってきている▲ということで、ひとつの道は、耕作放棄地を活用した有機農業だ。

過疎化のすすむ山里には定住促進が必要だが、「よそ者」を歓迎しない集落もあるし、「空き家」はあっても貸してくれない、などいろいろ難しい▲過疎化の本質は、「仕事」がないこと、なりわいとして成り立たないことである。仕事があれば、定住促進など叫ばなくても、自然と人がやってきて暮らしていく。子どもが生まれ、山里に活気がでてくる。

だが、仕事がない。サラリーマンとしてまちなかに通うには、遠すぎる。土木事業もない、山林業は衰退、お茶もやっていけない。もとより農業では自給のみ▲そこで、仮称「6次産業研究会」のようなものをつくり、土地の蘇り、有機栽培の仕方、加工の方法、販売のネットワークづくりなど、衆知を集めて磨きあっていく流れを作る▲先日「ラブファーズカンファレンス」を春野町で開催して、全国から有機農業をめざす人たち500名近くが集った。有機農業で村おこしをした先達たちの話も聞くことができた▲なりわいとしての有機農業の道、そんなことを漠然と、かんがえはじめている。では、林業はどうだろうか。それは別稿で述べたい。