過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

だめな自分を愛することができてはじめて

人を愛することはすばらしい。愛こそが大切なものである。宗教はそう説くことが多い。そうして、そのことを実践しようとすると、愛するのが難しいことがわかる▲憎たらしい人、自分に敵意をもっている人、危害を加えようとする人を愛することは至難だ。しかし、それをも愛することがたいせつなのだ、我慢して忍耐して修行のごとくに、愛するのだ。そんな生き方をしていると、かなり苦しいものになってしまう。

そうして、こんな自分はダメだ、と愛せない自分を否定していく。苦しくなる▲あるいは、愛のない人に対して軽蔑な心でみてしまうことにもなる。そうすると、そういう自分をまた否定する、ということが起きてしまう▲これ実は、怒りの心を育てていくことになる。がんばっている宗教者に、こういう人がいたりする。

たいせつなのは、愛していない、愛せない自分を愛すること。だめな自分、採点したら低い位置にいる自分を、そのまま、それでいいんだ、オッケーだと認めてあげることじゃないかと思う▲すばらしいことをしたから、すばらしい。それは当然。しかし、ダメでもいい。いまの自分がそのまますばらしいんだと認めることができたら……▲そのことが自分を愛するということじゃなかろうか。

だめな自分を愛することができてはじめて、他人を愛することができるのかもしれない▲いつでもどんなときでも、これでいいんだ、オッケーだよと、自分をまるごとみとめられること、そういう生き方をみている。