過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

あかり、誕生

きょう、ぼくに子どもが生まれた▲夜中の2時に破水して、陣痛が起きる。VOXYを寝台車にして京子を車に乗せて走る。しかし、揺れたりカーブのときは、たいそう痛がる。ゆっくりと、そして速く。気は焦るばかり。陣痛の間隔が短くなってきた。かなり痛がって苦しそう。運転していて、つらい▲医療センターまでどんなに急いでも1時間半だ。京子が「救急車を」という。医者から「万が一、産み落としそうだったら救急車を呼んで」と言われていた。救命士は、こういう事態になれているので、処置ができるのだ。

救急車に電話。しかし、どこで待ち合わせるか。待ち時間がもったいない。で、春野からの国道を走っているので、すれ違うときにパッシングの合図を送る、そこで止めてほしいと伝えた。さいわい山東のローソンの前で救急車とすれ違う▲手際よく担架で救急車に移動。ぼくはぴったり後について、車で追う。赤信号もなんのそのだ。しかし、救急車から「信号を守ってください。警察に捕まりますよ」と言われて、やむなく赤信号で停止して、後を追う。

医療センターは遠い。で、浜松医大に変更して、到着したのが4時。そのまま分娩室で立ち会い▲かなり苦しんでいる。お母さんの産みだす力と、赤ちゃんの生まれようとする力があわさって誕生となる。けれども、京子には力がない、体力もない。いきめない。ぼくはなにもできないので、手を頭に置いて、横について励ますだけ▲このまま生まれてこなかったらどうしよう。産道で止まってしまって呼吸できなくなって仮死状態になったらどうしよう。46歳という高齢出産だし、ちゃんとした子どもじゃなかったらどうしよう。……など、あれこれと不安がよぎる。しかし、すべてはおまかせ、流れにまかせて、天のはからい、となかば瞑想状態。

そうして5時33分。無事、生まれた。おぎゃーーと泣いてくれた。女の子だった。3050グラム。予定日よりも10日早かった▲夜の帷をやぶって、光の訪れとともにやってきたいのち。〈あかり〉と名づけた。母が亡くなって十ヶ月。母に面影が似ていると思った▲去るいのちあり、やってくるいのちあり。池谷家の先祖たちが、このままじゃ、霊統が途絶えてしまうよ、なんとかしなくちゃ、とはからってさずけてくれたいのちなのかなぁ。よくぞぼくたちのもとに、やってきてくれました。