過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

ややこしい、面倒な縁のなかにこそ、じつは幸福のチャンスあり

しっかりと原因を積めば、しかるべき結果はあらわれる。だから、がんばろう。──それはそうなんだけど、しかし、現実はそうは行かないことが多い。人生、こんなにがんばったから、こうなる、ということはすくない▲まずもって原因がたいせつなのはもちろん。そして、じつは「縁」がたいせつ。原因がきちんとあっても、「縁」がなければ結果は現れない。土を耕し種を撒いて水やり(原因)しても、光(縁)がなければ芽(結果)は出ないってことだ。

いい「縁」があれば、そのことによって、いい原因がたちあらわれてくる。やがていい結果にむすびつく。しかし、いい「縁」があっても、それを活かせなければ、原因も潜在してしまう。結果にならない▲じゃあ「縁」というのは、具体的にはなんだ。ということになると、やはり「人との出会い」だと思う▲人との出会いという「縁」によって、自分の中にある原因が生かされていくんじゃなかろうか。逆に、悪い「縁」となって、自分の中にある悪い原因が発動することもあると思うけど。

で、実践論になる。「困ったなあ、弱ったなあ、嫌だなあ……」という、いっけんよくない・ややこしい「縁」がやってくるとする。避けたいし、逃げたい。そういことは、たくさんある▲しかし、どんなことでも、やってきた「縁」は意味がある。自分の中の成長を発動させるものにちがいない、そう思うことにしている。というか、そう思わざるをえないなぁ▲ややこしい、面倒な「縁」のなかにこそ、じつは幸福のチャンスあり。成長の因子あり、と。