過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

百古里の古老から明治初期の古文書についてお聞きする

「百古里めぐり」では、アーティスト、デザイナー、さらには地元の古老から、百古里の暮らしの歴史などをお聞きするトークイベントがある。ぼくがインタビュアーとして司会進行させてもらうことになっている▲それで、昨日の顔合わせの集いの後、小木茂保さんという86歳になる古老をお訪ねした▲郷土のことについての本を三冊も出されている方で、古文書もスラスラと解読され、歴史に詳しい。だが、肺気腫を患い呼吸が苦しそう、耳も遠いので会話がかなり難しい。でも、手持ちの古文書などを見せていただき、お話を聞いた。

この写真は、明治4年の「宗門人別改帳」(しゅうもんにんべつあらためちょう)である。江戸時代、幕府はキリスト教禁止令を発布し、やがて寺請制度を確立させ、民衆がどのような宗教宗派を信仰しているかを定期的に調査する▲改帳の作成は、町村毎に名主や庄屋、町年寄が毎年行うこととされていた。婚姻や丁稚奉公などで土地を離れる際には寺請証文を起こし、移転先で新たな改帳へ記載する。ということで、事実上の、戸籍簿である。

小木さんは、「宗門人別改帳」をもとに、各家の婚姻関係、養子縁組、仕事のことなどを調査され「明治のはじめの百古里の村人達」という冊子を著している▲それによると、この百古里の集落は55世帯、人口は288人。80歳以上の者はわずか2人。婚姻はほとんどが集落の中で行われていた。▲明治4年、この頃は大変革期である。太陰暦から太陽暦に変わる、学校法によって義務教育が施される、徴兵制度が行われる、地租改正が行われる、神仏分離令が発令される。