過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

ああ、いそがしいということ

そろそろ節分。日の光は春だ。陰極まって陽となる。いい季節の到来。自然界はエネルギーをぐんぐん増してゆく▲しかしこの毎日が、いそがしい。ああ、いそがしい。しかし、いそがしいってなんだ▲やるべきことをやってない。いろんな用事に追われて余裕がない。心はせわしない。落ち着かない。あわただしい。プレッシャーがある。このままでは、遅れていると感じている。それが、いそがしいということ、か。

これがおわったらこうしよう、ああしようといつも思っている。けど、終わったらまた次のいそがしいことが起きている。だから、つねにあとまわしのものばかり▲で、結局、いつもいつも忙しいみたいだ。「つねにいそがしい」のだから、忙しいなかに、工夫してやるしかない。

「忙中閑あり」。いそがしいなかにも、余裕はないことはない。優先順位を間違えていることもある。いま必要なことをあとまわしにして、いつか必要なことにがんばったり。要点を押さえてないので、あれこれと余計なことをしている▲人に頼めばすむことを一人でがんばってしまう。ちゃんとコミュニケーションとれば完了することを、怖かったり、面倒だったりして、やりとりを途絶えさせていそがしくしている。……ということで、深呼吸をして、しばし瞑想し、丹田の気を練って、すすもう。