過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

これは「邯鄲の夢」みたい

友人宅で三人で話し込んでいた。友人は、コーヒーをいれるから、と。それを待つ間、ぼくはつい、うとうとと眠りに入った。なにやら二人は話しこんでいる。声が遠くなったり近くなったり。

そのうち、意識はその場から離れて、眠りに入った。はっと気がついたとき、かれこれ1〜2時間はたったろうと思った。しかし、コーヒーはまだ入ってなかった。ということは、ほんの数分のこと。

なにか、これは「邯鄲の夢」みたいだ。一睡の夢のなかに人生があるのかもしれない。死に至ったとき、そのとき夢から覚めるのかもしれない。あるいは、死んでは生まれ、死んでは生まれ、ついには夢から覚めず。永遠に夢のなかに生死流転していくのかもしれない。

おもしろいね、眠りでは空間をはなれる。時間もはなれる。あるときまでは、〈自分〉という存在ははなれない。でも、その自分もはなれてしまう。それって無なのか。いや無ではない。止まっているのか。そうかもしれない。あるいは、なにか大きなものに溶け込んでいるのかもしれない。