過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

懐山(ふところやま)の「おくない」

昨日は、引佐の懐山(ふところやま)の「おくない」という祭に出かけた。お寺の阿弥陀堂の座敷の中で行われ、ストーブと炭の火鉢が焚かれて暖かい。参加者は70名くらい。北海道や東京、関西からもきていた。

国の重要無形民俗文化財。能や狂言のもっとも素朴な原型がみられる。舞はいたって素朴。二十余の舞が上演される。馬が出てきたり綿や塩を買う様子など、懐山の昔の暮らしを表現したものもある。演ずるのは、ほとんど高齢の方たち。すこしよろよろしながらも、奉納舞をされていた。

こうして素朴な農村の祭が、さらに洗練され磨き上げられて芸能になり、能や狂言に昇華されていったのだとおもう。そうした芸能は、鍛錬によって見事なものになっている。農村のお年寄りたちによる素朴な原型にふれることもまたすばらしい。

もてなしがすごい。お金もとらない。お茶、みそおでん。こんにゃくの煮物。甘酒。最後には、汁かけごはんと煮豆。小学生の男の子が、お茶はどうですかと、つぎに来てくれる。一年の無病息災をねがって、みんな神様に捧げた供物を神様からのお下がりとしていただく。

厳しい冬のさなかに、五穀豊穣、無病息災を願って「予祝」として行われてきたのだろう。「予祝」とは、まえもって祝っうことで、現実がともなってくるというあり方だ。豊作だから祝う、というのではなくて、あらかじめ祝うことで豊作をよびこんでしまう。雨が降るから傘をさすのではなくて、傘をさすことで雨を降らしてしまうようなもの。