過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

四十九日の法要をすませて納骨

昨日は、母の四十九日の法要をすませて、三方原の市民霊苑に納骨となった▲法要の会場はホテルの和室を借りて、祭壇をしつらえた、小さいテーブルに白い布を覆い、遺骨と位牌と遺影を置いた。そして、燭台と香爐。通夜と葬式のときとおなじく、ぼくがお経をよんだ。

二人の姉と親族、親戚たち11名。12年前の父の葬儀の際には、元気だった方々も、やれ腰が痛いと、なかなか来られない。はつらつと冗談を交しあった方も、年を召されていたって活気がない。もう亡くなられた方もおられる▲自分も含めて、こうしてみんな老いを重ね、体も心も弱っていくものだなあと感じた。それぞれが滅びの道を静かに歩んでいく▲朝の光は万物を照らし、鳥が鳴き花も咲いて、元気横溢。しかし、夕暮れになって日は沈み、万物静まりゆきて、夜を迎える。やがて静寂の世界へ。そんな感じがした。

雨の中、傘をさして墓の前で読経。骨壷を墓の中に入れた。お墓というものは、中に暗い部屋があって、そこに先祖の墓がある。しかし、それぞれが素焼きの骨壷ではないので、遺骨は土に還ることはない。そうして、当然だが、真っ暗でジメジメしている。ときに水が貯まることもあるだろう▲ぼくは、こうした墓の中に納骨されたいとは思わないな。山野の土に還るか、川か海の水に流されるか、やがて跡形もなくなるのがいい▲しかし、ぼく自身はいいとしても、先祖の墓はどうするか。やがて無縁墓となっていくわけだし……。そのあたりの課題がある。

納骨が無事すんでも、いろいろとやることがある▲五千円以上のお香典をいただいた方には、香典返しが必要だという。では、どういうものがいいのか。そのための住所録をつくるとか。さらには、四十九日が終わりました、という挨拶状も必要だろうし、とか▲さらには、位牌だ。これまでの白木の位牌を焼却して、正式な位牌をつくらなくてはならない。黒いピカピカしたのはいやだな。家具調の紫檀のような色合いがいいかな、とネットで検索している。まとめて「池谷家先祖代々之霊位」と一つにしようかと思う▲そんなこんなで、臨終の看取りから、通夜、葬儀、四十九日、納骨……と、待ったなしでいろいろと続く。来年になれば、お盆と一回忌法要と。