過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

自分の看板、自分の土俵さがし

競争ということ▲サラリーマンの時、楽器メーカに就職した。ピアノなど国内では競合はほとんどなく、他社と戦うというよりも、「需要創造」といって、音楽人口・ピアノを弾く人たちを増やすことがたいせつだった。会社の気位も高かった。しかし、いったん他の事業部に移ると、競合他社との熾烈な戦いがあって、つねにピリピリしていた▲そこから電子部品会社に移った。ビデオやオーディカセットのトップシェアだったので、かなり余裕の雰囲気だった。しかし、各社ともに生産過多になって、価格競争に巻き込まれて消耗していった。やがて事業部そのものが消滅。いまでは商品そのものが、ほとんどない。

価格競争に巻き込まれるのは、他の商品との〈ちがい〉がないからだろう。自分しかないものをつくって、真似されることもなければ、競争になることはない。もっとも商品そのものが市場で求められなければ、やっていけない▲サラリーマンをやめてから、自分の得意ワザをみがくことを探求してきた。大企業にいると、あれこれ部署がかわり、会社の看板のおかげで仕事しているけど、けっしてその道のプロのようなワザは身につかない。ぼくは、営業から生産手配、海外の物流、総務で株式などいろいろやらせてもらったけど、どれ一つとして他社ではつかえるワザはなかった。

フリーになったら、なんにも得意なワザがないことに気づかされた。いいカイシャの看板がなくなれば、〈自分という看板〉で勝負するしかない。しかし、なにより〈自分の土俵〉がない。どこで勝負していいのかわからない▲そもそも、なにが好きなのかがわからない。なにをほんとうにやりたいのか、わからない。こういうことは10代でつかんでおくべきものなのに、後まわしにしていたことに気がついた。いいガッコウに入って、いいカイシャに入って頑張ればなんとかなる、という意識で生きてきたからね▲そんなことで、40にちかくになって、自分探しに直面した人生であった。でもそれがよかった。定年退職までカイシャにいたら、まったくつまらない人生だったろうし、カイシャをやめてからの展望がなかったかもしれない。