過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

タイで結婚、日本に出稼ぎ、物干し竿を売る

ファランポーンの駅前広場でゴザを敷いて店を出している話を書いた。その続きだ。友人は、その中で可愛い娘を見つけて、日参していた。その娘はアイちゃんという。ぞっこんに惚れてしまった友人は、安宿でタイ語を猛烈に勉強していた▲ぼくは彼とわかれてインドとネパールに旅立った。2週間のいそがしい旅を終えて帰国したら、彼から手紙がとどいていた▲あのときのタイの娘と結婚することになった。一緒に、イサーンの村に住むという。そうしてかれは、仏前結婚式を上げて、かれは50万円で二階建ての新居を建てた。ずいぶんと思いきったことをするなあと感心した。

数年後、かれが訪ねてきた。半年に一度日本に出稼ぎにくるようだ。100万円貯めては、あとは旅をして暮らしているという。だいたいは工場の派遣社員だった▲今回はじつは、物干し竿を売ってみたいという。そこは軽トラも拡声器も貸してくれて、確実に儲かるらしい。うまくいけば、タイで暮らす奥さんも連れて、物干し竿を売りながら日本を旅したいという▲それでじつは、お願いがある。都内だと運転が不慣れなので、一緒に助手席についてもらいたいという。

その仕事もおもしろそうなので、一緒に物干し竿を売ることにした。団地などに出かけては、「まいどお騒がせしております。物干し竿、一本500円からございます」と、拡声器で流してゆく。安いからと見に来た人には、じつは千円のは脆いので、もっといいのがあると、高いのを売りつけるという商売だ▲かんたんに売れるわけではない。それでも、その日は2本売れた。売上は、7千円。しかし、翌日、かれがひとりで売りに行ったとき、車の事故を起こしてしまいあっけなくクビとなった。

つぎにかれが考えたのが、スッポンの養殖だ。タイの土地は広大で、沼がたくさんある。そこで育てればいいという。スッポンは高値で売れるし、なにより家族、親戚たちがみんなで仕事ができるのがいいという▲日本人なので金がある、出稼ぎでかせいできてくれるからと、みんなに寄りかかられるのがいやだ。みんなで働いて稼ぐというシステムをつくりたいというのだった▲たいした発想だなあ。実業家みたいだと感心したのだった。当時ぼくは、サラリーマンをしていた。安定していけど、不自由だ。上司を顔色を見て仕事をするのも嫌気がさしていた。かれみたいに自分でリスクを背負って自分の土俵で仕事をしてみたい、そんな可能性もないことはないなと感じたのだった。(またそのうち、つづく)