過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

雨音をききながら坐る

いま、たくさんやらなくちゃいけないことがあって、ああたいへん!とよく言っている。そんなこと言ってもなんにも改善されないし、同情もされない▲だいたい自分でそういう事態を招きよせているんだから、段取りの悪いこと、計画性のないこと、見通しの悪いことを表明しているに過ぎない。

ただ、たくさんやることがあるのは、いいことではある。ヒマをもてあますよりはずっといい。なにしろ生きている感じがする。がんばっている。手応えがある。前向きである。自己採点も高くなる▲だから、なにか成し遂げたとき、それがどんだけたいへんだったか、手間がかかったか(どうだ、おれってすごいだろう)ということを言いたがる。

でも、ひとつ落ち着いて、ただ坐る。ひたすら呼吸に意識を向けて、ただ坐っている。そうすると、心身はくつろいでくる。だらーっとしたくつろぎじゃなくて、気に満ちた充実のくつろぎといおうか▲そうしたとき、ああ、なんにもしなくてもいいか。こういう時間がもてること、人生、それで十分じゃあないかなあ。あれもこれもしなくもいい。最低限のことでいいんだ。そんな境地にもなる。たまにだけどね。

しかしそういう心に、いっときはなるけれども、また日常の現実に呼び戻されて、あれもこれもしなくちゃ……という暮らしに戻る。そしたまた、ときに坐る。そんなことの繰り返しをしている▲きょうは、恵みの雨が降り注いでいる。腰痛でなにもできないし。雨音をききながら坐ることにしよう。ひとつ自分の心をたずねることにしよう。