過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

集団的自衛権について

ここのところ集団的自衛権の話題が多いので、考えてみた。(なにかを訴えようと言うんじゃなくて、書いていくと頭が整理されるので)▲まず、この国は、法治国家だ。あらゆることの決めごとは、法律に根拠がある。で、憲法というのは、最高法規だからいちばんえらい。そして、国民一人ひとりを拘束する▲これが土台となって、あらゆる法律、条例、規則がつくられる。ので、憲法に違反したら、それらは効力がないことになる。

で、その憲法の柱の一つが「絶対平和主義」。それは前文と第九条で、戦争の放棄を宣言している。わが国は、戦争をけっしてしないぞ。そして、戦力を持たないんだと宣言した。

でも、戦力である自衛隊が実際に存在している。じゃあ、これは憲法違反かというと。どうも、そうじゃないらしい▲つまり、戦争放棄条項というのは、「侵略戦争に反対しない」ということで、「自営のための戦争は認めている」ということだ▲そもそも、むこうから攻めてきても戦わないということは、独立国家としてありえないことだ。国民の平和と安全を守るのが国家の責務だから、そういうときに、戦うのは当然のことである。そのための戦力が自衛隊なんだ、と。

ここで難しいのは、「自衛」ということ。自衛のためといって、他国にまで攻めて行くことも、自衛とされることもある▲たとえば、そもそも日本は、つねにロシアが南下してくるという脅威があった。ほうっておいたら、侵略されてしまう。そのために、朝鮮半島、そして満州と進行して、対ロシア(ソ連)に対抗する必要がある。だから、韓国を併合し、満州国を建てたのは、自衛のためであった。太平洋戦争は自衛戦争だったんだ、といえなくもない(ちと無理か)。

ところで、戦後、共産党野坂参三(後の議長)が国会で、質問している。「侵略戦争は正しくないが、自国を守るための戦争は正しい。侵略戦争の放棄とすべきではないか」と。共産党がこういう質問していたんだね▲それに対して、吉田茂首相はこう答えている。「近年の戦争の多くは国家防衛権の名においておこなわれている。正当防衛権を認たら、戦争を誘発してしまう。正当防衛を認めることは有害だ」と。これ、1946年のことだ。

その後に、アメリカの要求で警察予備隊が創設され、1952年には、警察予備隊は保安隊に。そして、1953年、自衛隊となってゆく。60年前のことだ。いずれも、国内の治安維持のためという名目でだ▲こうして憲法は、骨抜きになっていく。最高法規でいちばんえらい憲法の柱が崩れていくのだから、その上に乗っかっているあらゆる法律、条例、きめごとも、ぐらぐらと揺れることになる。