過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

夢を語るよりも、いまここを生きるってことかなあ

こういうことをしたい、これをやろうと思うと人に語ることが多い。語るうちに、ヒントがもらえたり、新しい着想がわいたり、賛同者が増えて協力してもらえたりする。なによりリアリティに近づいていく▲いっぽう、あれこれと語らずに、ちゃんと実行してしまう人もいる。ちゃくちゃくと一人で家を三棟もセルフビルドしてしまった友人が、ぼくによく言う。「池谷さん。やりたいこととやれることはちがうからね……」と。ちゃんと実行する人だから、言葉に重みがある。

60歳も越えてくると、いつなんどき病気になったり、寿命がきたりするのか、わからない。体力と気力は衰えていく。夢を語っている暇はないのかも▲定年退職して田舎暮らしをした知人が、70になってまた都会に戻った。「60の時には、なんでもやれると思って田舎にきた。70になっても、元気が続くと思っていたよ。でも、いざ70になったら当時の元気はなくなったよ」と。

「希望あるかぎり若い。夢をうしなえば老い朽ちる」のも真理だと思う。でも、人生も晩年になりつつあるとき、夢や構想を語っていくよりも、一日一日、できることを着実にこなしていく。そこだ思うな。そもそも語る夢ってのは、ぼくの場合、その一割のさらにまた一割も、実現できないからね▲だからこそ、きょう一日。いまここでできること。それを着実にこなしていくこと。どんなことであれ、いまここでできること、それがリアリティなんだから、そこにしか人生はないから……▲要諦は、いまここを楽しむ、いまここを遊ぶってことかもしれない。これは、刹那的に生きるということではなくてね。