過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

ブッダとソクラテス 愚かさの自覚

西洋哲学の源泉にギリシア哲学があり、そのまた源泉にソクラテスがいる、といえるかもしれない。そのソクラテスの哲学とブッダの教えと似ているところがある▲それは「自らの愚かさに気づいているのが賢者である、知っていると思い込んでいる人が愚者である」ということだ。

ブッダの教えにこう言うのがある。「もしも愚者がみずから愚であるとしれば、すなわち賢者である。愚者でありながら、みずから賢者だと思う者こそ、愚者である」(ダンマパダ)

で、ソクラテスである。かれは、知恵あると思われている者を訪ねては問答を仕かける。そして、知恵者というものが、じつはほんとうの知恵者でないことを観察する▲「かれらは(真理を)知らないのに〈知っている〉と思っている。私は(真理を)知らないので、〈知らない〉と思っている。その点で、私のほうが少し彼より知恵が優れていると思う」(ソクラテスの弁明より)と▲そしてこうも言う「最も名声ある人々がほとんどすべて最も智見(思慮)を欠き、尊敬されることが少ない人々のほうがむしろ智見(思慮)が優れていると思えた」と。

このブッダソクラテス、ほとんど同時代の人である。そしてまたも孔子も同時代である▲すなわち2500年も前の人。その教えが、いまも脈々と受け継がれているということがすごい。