過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

〈感じる〉ことと〈考える〉ことは、両立できない

〈あたま〉にエネルギーが行っていると、あれやこれやと考えが尽きない。そういうはたらきは、複雑で出口がなくて、けっこうドン詰まりになる。あのロダンの「考える人」のイメージかな▲〈あたま〉に体にエネルギーがいっているとき、そのことになかなか気がつかない。〈頭でっかち〉の人は、自分がそうだとは気がつかない。体にエネルギーが立ち還ったとき、──ああ、おれは頭でっかちだったなぁと、気がつく。

〈感じる〉というところに向かうと、考えは止まりやすい。〈感じる〉ことと〈考える〉ことは、両立できないからだ。考えに傾くと感じる力は弱くなる。感じる力が強くなると、考えは止まりやすい▲で、考えが止まったとき、いいヒラメキが浮かぶ。いい直感がやってくる。一億の一億倍の考えよりも一瞬のヒラメキ・直感がまさるように思う。

でも、どうやったらそうなる……。そこが難しい。たとえば、瞑想はどうか。考えに傾いている人がいきなり瞑想すると、ますますドツボにはまりやすい。妄想と雑念の渦に巻き込まれてしまう▲〈からだ〉をつかう瞑想的な動きがいい。ヨーガとか気功とかとてもいい。野口体操とか野口整体も。あるいは、腹の底から大きな声でお経や念仏、真言やお題目を称えるのもいい。あるいは、温泉に入ったり、マッサージしてもらったり、シコを踏んだり、雑巾がけもいい▲そんなことを、早起きした今朝から、探求しているところ。