過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

日本仏教は、死んだ人のため、死者や先祖の供養のためものになっていった

2500年前のインドでブッダが教えを説いた。その教えを弟子たちがまとめたものが「お経」となった。その教えは、弟子によって口伝えで伝承され、滅後100年くらいで文字となり、さまざまなお経が成立していった▲やがて「八万法蔵」といわれるほど膨大なものとなっていく。原始典から大乗経典、チベット仏教の経典と多岐にわたる。

これまでいろいろとお経を読んでみて、あたらめて思うのは、お経とは「生きている人のためのもの」ということだ。けっして「死者のためのもの」ではないということだ。

ところが、日本において、お経がよまれるのは、ほとんどが葬式・法事の場である。仏教は、人が死んだときに必要とされるもの、死者や先祖の供養のためものになっていった。仏教とは、生きている人のためのもの。自らの心をおさめ、安らぎに至る道を教えるのが根本だと思う

「自ら気づきの修練によって、激流によって押し流されることのない不動の島をつくりなさい」「気づきの修練によって、安らぎに達することは無上の幸せである」と最古の経典『ダンマパダ』にあるごとくだ。と最古の経典『ダンマパダ』にあるごとくだ。