過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

草むしりも瞑想だ

草むしりが日課だ。畑や庭にダンボールを置いといて、そこにむしった草を投げ入れる。わがやのあちこちには、草が山と積まれたダンボールが置いてある。この草は枯れて微生物の住まいとなって、堆肥となる。

なかなかいい気分転換になる。仕事していると、頭に無駄にエネルギーが行きすぎる。こうして土と草と対峙すると、アースされるような気がする。さらに、草むしりは手と指を使うのがいい。▲手と指を動かすと、脳をいい具合に刺激する。熟練した手仕事人など、高齢になっても頭がクリアーな人が多いように思うけど、それは手をよく使うからだと思う。

そして、草むしりも瞑想だ。ごちゃごちゃした頭の働きを鎮めて静寂にする。草をつかむ、引っ張る、腰を入れる、息を止める、抜く……という一連の身体行為に意識を向けている。▲考えている、のではない。むしろ考えない。頭は使わないで、意識(conscious)を使うといったらいいか。目覚めていること。草をむしるその指に手に意識がある。難しい言葉だけど、「身随観」という瞑想法がある。身体の動きにたえず目覚めていること。一瞬一瞬に実感される微妙な身体感覚を味わうことだ。

まあそんなこんなで、いろいろと大変な草むしりだが、ほどよい脳の活性化にもつながり、筋トレになり、気分転換になり、大地との対話になり、瞑想になる、ということでモチベーションを高めているのだ。