過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

怒るのは損なのだが……

選挙が近いのでテレビで政治家の討論会など見ていると、話す内容よりも話している雰囲気、人柄、落ち着き具合が大切と感じる。気色ばんで話をすると、もう好感がもてない。肩に力が入っている人の話は、聞けないな。ゆったりと余裕の人は話は聞ける。▲で、そういう自分はというと、きっと肩に力が入る。たまに気色ばむ。怒ったようすを表情に現す。むっとして顔色を変える。怒りのエネルギーで責め立てる。そう思う。

会社員時代など、自分はちゃんとやっている、倍は仕事している、成果も出していると自負していた。で、ダメな部署を責めたりたり。それって、嫌われるよね。敬遠される。恥ずかしい。▲そんな仕事ぶりの先にやってきたのは、腰痛だった。腰だけじゃなくて、足の先までしびれて、芯から凍えるような痛み。まっすぐ立てない。疼痛性の側湾だ。生涯、腰痛で苦しむことになると覚悟したのだった。で、それは怒りが自分を蝕んでいた、体が悲鳴を上げたのだと、いまではよくわかる。

怒りのエネルギーは、ぶつけた相手にダメージを与える。けれども、それ以上に、何万倍も自分自身にダメージを与えるんじゃなかろうか。だから、結局のところ、怒るのは損なのだ。大損。しかし、かといって怒りを抑えるのは、難しい。そこが日々の修行。▲怒りってエネルギーの高揚感が伴うから、ある種の快感も伴う。しかし、あとでどーんと落ちこむとにもなる。小さな怒りの芽が出てきたら、「お、いまおれは怒っているぞ」、「おお・よしよし」としてあげて、なだめて、落ち着かせて、鎮まらせるってことか。しかしこれ、難しいよね。