お経というと、わたしたちの暮らしには縁遠い。暮らしの中でお経をよむのは、お坊さんとか創価など新興宗教の人くらいだろうか。それは、坊さんによって葬式や法事のときによまれるもの。それは、「死者の供養のためのもの」であって、「自分の生き方や暮らしとは関係ない」と思われているだろうか。
でもじつは、お経は死者のためのものではない。生きている人のための教えである。「寒さと暑さと、飢えと渇えと、風と太陽の熱と、虻と蛇と、──これらすべてのものにうち勝って、犀の角のようにただ独り歩め」と原始経典のダンマパダにあるが、ブッダはまさに生きている人に対して教えを説いた。その教えをまとめたものがお経である。
そのお経──じつに膨大な量がある。ブッダの滅後、弟子たちによって伝えられたものもあれば、数百年を経て、いろいろな人たちによってつくられたものもある。そのほとんどは、死者の供養のためではなく、生きている人に対する教え、であろう。死者のためのお経というと、『チベットの死者の書』くらいだろうか。中国でできた偽経に一部はあるかもしれないが。