過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

イスラムの祈りの響き

イスラムの祈り。アラーーーーーー・アクバル。その響きは天空に抜ける。発声してみると、頭のてっぺんから抜けていくような響かせ方になる。▲この響かせ方は、ぼくには神道もおんなじように思えた。たかまのはらにーーーーかむつまりますーー。ぼくは頭のてっぺんから抜けるように響かせて、祝詞をとなえている。

いっぽう、仏教やヒンドゥーの祈りは、腹に響かせる。スリーラン・ジェーラン・ジェージェーラン。 観自在菩薩……唱えていると、腹に丹田に響かせていく唱え方になる。▲仏教やヒンドゥーは、大地に振動する方向。イスラムは天空に響かせる方向だ。

西インドの砂漠でラクダに乗ったことがある。ラクダ使いが歌う。その歌は、風に乗ってはるか遠くに響いていく。頭から抜けるような響かせ方になる。砂漠には、渺々とした砂しかない。空しかない。太陽がかっと照りつけ風が吹いてくるだけ。その天空に、風に、響かせるような歌い方だ。

そのラクダ使いの歌とイスラムの祈りの響きは、あい通じるものがある。やはりイスラムは、砂漠の宗教、天空に響かせる祈りの宗教なんだなあと思った。イスラム教のモスクも、半球のドーム型で、それは天空を表しているのだと思う。▲そして、インドはやはり大地だ。インドを歩いていると、大地の振動のようなものを感じることがある。