過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

かなり怖かった「いま・ここ」体験を

思考が止むと、そこに、「いま・ここ」体験が起きる。「いま・ここ」体験があるとき、そこに思考はない。リアリティが訪れる。▲しかしこれ、坐ったままの瞑想では、ぼくにはなかなか難しい。▲なにしろ、呼吸を一つするたびに、いろいろな思考が入り込む。たった一つの呼吸の間でさえ、思考を停止するのは難しい。それほどまでに、思考というのは迅速で休むことをしない。

思考が止まって、まったく「いま・ここ」体験を味わったことが、これまで幾度かあった。▲ひとつは八ヶ岳の登山のとき。権現岳からの岩稜歩きで、垂直の鉄梯子(源治郎梯子)に出くわした。ほぼ垂直の岩肌に打ち付けられている。足を滑らせたら奈落の底だ。▲しかも、鉄ハシゴは小雨で濡れている。リュックは重たくて大きい。バランスも取りにくい。しかし、引き返せない。だれも助けてくれない。進むしかない。

よし、ひとつひとつハシゴに手をかけて登る。そろり・そろり。まさに必死。▲恐ろしいという気持ちと一緒にいながら、登った。62段、30メートルほどか。たったの5分くらいの体験だと思う。▲ふりかえると、まったく思考が働いていなかったと思う。五感が冴え渡っている。手と足、身体の動きに意識が研ぎ澄まされていた。まさにいま・ここ体験だった。まさに、瞬間瞬間のリアリティを感じていたんだと思う。