過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

イノシシの解体をつぶさに観察した

こないだの友人の集い(TT森という自給自足経済を目指す仲間)で、イノシシの解体を目の当たりにした。▲当日の朝、ワナにかかった子どものイノシシを持ってきてくれた。その方が、器用に解体する過程を見せてくれた。

そばの川に引きずっていく。うちのランも興味津々だ。川に浮かべて、腹をさばく。その瞬間、うわっ気持ち悪い! と緊張した。中から出てきたのは、白くてきれいな臓器だ。ぽかっと胃や腸や肝臓が川に浮かぶ。▲──あれれ、それほど気持ち悪くないぞ。川で臓器をとってから、吊るして骨と肉にナイフを入れていく。それも、おぞましさはなかった。

動物を殺すのは残酷で恐ろしい、というのは、ひとつには血がどばーっと出るということが大きいんだろう。▲血が出なければ、それほど恐ろしいとは感じない。また、肉そのものは、血の気がないとおいしそうに見えない。牛肉でも桜色でなければおいしそうじゃないし。

恐ろしい、気持ち悪い、残酷……と思っていたものが、つぶさにそれを目の当たりにして、よーく観察していくと、そうでもないということになる。▲つまり、かなり「思い込み」なのかもしれない。「思い込み」は、つぶさに観察すると、外れていくってことがあるな。▲「思い込み」というものは、つぶさに観察すると、外れていくってことがあるな。よく観察しないと、怖いままで居続ける。

いま台所にはヘビさんが居座っているが、これまたよおく観察していくと、なあんだそんなに怖くないな、まあ愛らしいかも……と思えてくるかも知れない。でも、早く引き上げてね、ヘビさん。