過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

この世のものではない生きものを、しかと見た

坐禅での不思議体験。30年近くも前だが、臨済宗の国際禅道場(千葉県鹿野山)で坐らせてもらったときのこと。▲2泊3日の接心で、朝の4時に起きて、夜の10時まで坐る。40分に一度、休憩が入る。曹洞禅と違い、臨済禅は目を開けて壁を背に坐る。

3日目の朝のことだ。地面が裂けてなにか巨大なもの、龍みたいなものが、ゆらゆらと出てきた。▲壁がぐにゃりと崩れて、またなにか生きものが出てくる。あちこちから、巨大なかたちを自由に変えていくものたちが現れる。ちょうど、宮崎アニメの「もののけ姫」に出てくるデイダラボッチが崩れていくときのような動き。▲目はしかと開けている。眠ってはいない。意識はきちんと「いまここ」にある。しかし、目の前にいろいろな生きものが動きまわる。リアルにそれが見えるのだ。

この世のものではない生きものを、これほどしかと見たことはなかった。いったいなんだったんだろう。たんなる幻想や妄想なのか。自分の心のなかのものを、見せられていたのだろうか。▲あるいは、神々というのか低級霊というのか、普段では眼に見えない存在が実際に蠢いているのだろうか。瞑想によって、それが見えるようになったのだろうか。

後で僧侶にそのことを聞いた。「ああ、見えましたか。そんなことは、よくあることだ」と言う。▲「この坐禅の世界ではよく起こるんだよ。ときには、音がする、光が見える、香りもする。ときには仏さまや観音さまが出てくることもある。▲すると、それを悟りと思い込む輩がいる。まさにそれが魔境なんだ」と言われた。「そのために、警策で徹底的に打ち据えるのだ」と。

打ち込まれる樫の木の警策の強烈なこと。痛いというレベルではない。骨がきしむ。全身の細胞が目を覚ますほど。青あざは半月は残っていた。そのおかげで、全細胞が活性化するような冴えた坐禅を、ほんのすこし体験することができたのだった。